Blogトップページに掲載したお知らせの過去ログ。

'16 '13 '12 '11 '10 '09 '08

12/29(Mon)

今さら更新しても……という気はしますが一応。

明日、やみなべ堂は東ム28b 十柄屋に夏の新刊を五部ほど委託させていただいております。

Pieces of Work」収録作品数は4、価格は500円です。よろしければどぞー。

 

肝心の十柄屋の新刊は上にある表紙ですね。下に裏表紙とかもありますよ~。

Monotonous Junk」カオスならくがき本で、価格は200円です。

 

いやはや、本日の二日目はなかなか大変だったようで。参加された皆様はお疲れ様でした~。

詳しいことは明日サークルメンバーや友人から聞く予定ですが、どうやら投げた委託はほとんど完遂してもらったようで。――来年はこれで勝つる!

明日、yamd氏が遅刻したり、つり銭忘れたり、本が届かなかったり、まあそういった不測の事態が発生しない限りは大丈夫でしょう。

東方がまたすごい活況だったようですね~。年々人が増えて、不況のあおりも受けずに大盛況だったとか。

 

ではでは皆さん、良いコミケを。

12/26(Fri)

年末を控え、街が浮ついてますねえ。どうも落ち着きません。人が多いとこういうときちょっと嫌ですね。さすが人間が健康に生きられる人口密度の三倍近い密度を誇る街だけはありますな。三人に一人は厳密に診断すれば精神病というのもあながち間違いとは……。

とはいえこちらの気分が浮ついて手元の作業に集中できない理由にはならないわけです。やれやれ。

 

来夏のテーマはどうしようかなあ、と思いつつ、今のところ挙がっているのは「時間」と「アンドロイド」くらいですかね。まあ、いくつも挙がってたらそれはそれで問題なんですが。

そのあたりならぱっと書きたい作品の概要が四件くらいヒットするわけですが。他のメンバーはどうでしょうかね。概要を語れるストックネタだけでも10はあって、アイデア止まりを含めるなら20くらい、というのも異常な事態でしょうし。やりたいなあ。

とりあえず、積みあがってる未開封CDでも聴きますかね。

12/25(Thu)

っていうか昨日クリスマスだったんですね! 日付書いてて何も思いませんでしたよ!

敬虔なキリスト教徒の皆様はセント=ニコラウス卿の冥福を神に祈ったのでしょうか。別に私はキリスト教徒ではないですが、聖人と呼ばれうるほど立派な人物が亡くなったのであれば、別に宗教がどうあれ祈ってもいいと思いますがね。

 

ともかくもほとんど昨日今日とずっとサークルチェックしてました。こんな時期に何やってんだか……。

とりあえず私自身は参加できないので、yamd氏とキリ氏と愉快な仲間達に任せますが。

なんかもう疲れました。適当にチェック付けたら300サークル超えるんだもの。そこから240サークルくらい削りましたとも、ええ。

とりあえず、委託したものが貰える日を楽しみにしながら頑張りますよ。

12/24(Wed)

ネタというものが浮かんでくるのはいつだって唐突で、かつ手元の作業に集中できずにボーっとしている時が多いです。あと、環境が変わった時とか。

今日もやはり突然やってきて、ノートを取り出してまとめようかと思ったんですが、やはり今の時期そういうわけにも行かず、かといって集中もできず……ううむ、いかん。

ともかくも、久しぶりに短めにまとまりそうなネタなんで、年度明けたら書こうかなと思ってるんですがね。

この手のネタはやはり、その時触れている文章や音楽に強く影響されるので、その時の感覚を保つのが難しいんですよね……まあ、影響を受けたものの劣化コピーにならないよう、寝かせるという考え方もできますが。

思いついたものを思いついたとき好きなだけ書ける環境が欲しいです。

でも、いざ手に入ったらなかなか書かないんだろうなぁ……。

まあ、そんなこんなで。

12/22(Mon)

明日は、と言っておいてしっかり丸一日空けてしまいました。まあ、気が向いた時に更新するスタンスだからそんなもんです。

唐突ですが、私、人の名前を覚えるのが苦手です。

長いこと会っていないと普通に名前を忘れますし、一度名乗りあっただけだと「誰だっけ……」と思いながら会話をするなどということもよくある話。特に「まあ、この先深く付き合うことも無いだろう」と思っていると一時間以内に忘れたりします。

何故そんなことを話すかといえば、そういう「この先付き合うことも無いだろうと思って名前を忘れた人」というのが最近親しげにコミュニケーションを取って来てとても申し訳ない気持ちでいっぱいなのです。

彼は私を普通に呼ぶのですが、私は彼を二人称でしか呼べません。うう……ごめんよ……。

 

一番「やっちまった!」と思ったのは、母校の先輩の名前を忘れた時。とてもいい人だったのでその印象だけは覚えていたのですが、もう、申し訳なくて申し訳なくて……。

まあ、さすがに名簿見て思い出しましたが。人の名前は覚えましょう、という話で。

12/20(Sat)

更新しているうちに日が変わってしまいました。

さて、よく言われる話ですが、同人活動に対する姿勢についてつらつらと書こうかなと。疲れたら続きは明日に回します。とある方の日記で、「売るということを重視しすぎるのはいかがなものか」といったような話をされていたので、そのことについて少し。

 

同人活動というものは、アマチュアの創作者による活動ということではなく(プロも大いに参加していらっしゃいますし)、同じ志を持った創作者達(以下同人)が寄り集まって何らかの創作物を形にし、発表するというものだと私は考えています。

無論、この場合アマチュアの同人がプロ志向であるか、アマチュアのままであるのかは問題ではありませんが、同人による自主的な創作物である以上、プロ志向というものとは本来離れたものである気がします。製作することが目的であるからだけでなく、もともと、市場流通しているものに満足できない人が同人として活動するというのが起源のようですし。

そういう意味で考えるなら、営利を第一とするのは確かに同人活動でやるというよりは、個人の力でプロになることを目指すことの方が見合っているように思えます。事実、そのような同人サークルは「同人ゴロ」と呼んで毛嫌いする人もいるようです。

ですが、こと「売る」という行為には営利以外のメリットが多く含まれているように思われます。

まず、自分の作る物が売るものである、というプレッシャーを得るために「売る」という目標を設定するということも十分考えられます。また、ある程度ちゃんとした形にするため必死に作品を磨き、またある特定の日時に間に合わせるために〆切を設定し、目に見える目標を設定することでより努力をしやすくするという効果を得られるのではないでしょうか。

もちろん、それが長じて書くことではなく売ることが目標になってしまえば、それは問題です。ですが、それを取り違えるようではそもそもから同人活動という土俵で活動しようなどとは考えないでしょうし、その土俵にこだわる限り、書くという目的を見失うことは少ないのではないでしょうか。

売るという目標そのものに罪があるのではなく、その目標を目的と取り違えることに罪があるのでは、と私は思うわけです。

その目標を達成するために設定される、数々の副次目標もまた、結局はそれによってある程度の形を与えられる創作物の目標を得るためであって、営利が目的であるのならそもそも「自分達で作る」意味がありません。

取り違えた時点で、同人活動という土俵で行うメリットが消失します。そう考えるなら、めったなことでは「同人ゴロ」化することはありえないのではないか、と思うのですが。

以上の理由から、ある程度であれば、つまり、目標と目的を取り違えない程度であれば、「売る」という目標を追求することは正当であると私は考えます。

 

うわあ、久しぶりにこんなこと書いたな。しばらく真面目なこと考えてなかったんで反動が来たようです。

明日は頭弱い更新でもしますか。では、これで。

12/18(Thu)

yamd氏の裏表紙拡大版。

実はこれ、池袋DPCさんのところで行われたワイズナーという企画用に作成したキャラクターだとか。

自分は企画が終わった後に知ってですね。その素敵企画に心打たれたわけですが……まあ、概要をかいつまんで。

作成したキャラクター(女冒険者)をダンジョンに放って、見守るゲームです。

まず、絵を描きます。立ち絵でもなんでもいいですが、キャラクターの全身像です。

次に性格(カオス、ニュートラル、ロウの三つと慎重、堅実、大胆、無謀……だったかな? の中から一つ。後者はダンジョンの進む方針に影響)、職業、パラメーター(実力・名声・才能)と特殊技能を設定します。特殊技能は20ポイントを振り分けて好きなものを習得させ、余ったポイントを運(ダイスの最大値)として使用します。性格によって習得できたり、できなかったり、覚えるのによけいにポイントがかかったりします。

あとは放置して見守るだけです。ダイスの目次第で英雄になったり、がっつりヤられて奴隷にされて売られたりします。

これがリアルタイムに更新され続けて数ヶ月。合間に起きた出来事を絵にしてみたり、100近いキャラクターが様々なドラマを生んだりとそりゃあもう面白そうな。

無論、100近い絵師さんが一堂に会しているわけであっちのキャラクターをこっちの親御さんが描き、キャラ日記が書かれたり小説が書かれたりと。中にはさらにゲームを作る人まで……。

日記とエピローグはあらかた読みましたが。うん、すごく面白そうでした。

次回があるなら是非参加したいです。

 

どうでもいいですが、ちみきゃらってなんかいいですよね。和みますな。

12/17(Wed)

yamd氏の新刊表紙。誌名は「Monotonous Junk」です。配布価格は200円だそうで。

個人的に訳は「色あせたがらくた」とかがいいとか思ってたんですが、yamd氏によれば「つまらないゴミ」だそうです。「ぱっと見かっこいいのに実は自虐とか最高じゃね!」だそうです。誌名の意味をよく理解してくれるサークル参加者はたくさんいらっしゃることでしょう……。

相変わらず「女の子? いいえアンドロイドです」とか「ギター? いいえランチャーです」みたいな素敵絵が載ってるようです。まさにカオス。だがそれがいい。

ところでこの表紙絵、メインオブジェクトのほかにもう一つ動性のオブジェクトが一つ……。ぶっちゃけ私は拡大しないと気付きませんでした。まあ、サイバーいいよサイバー、廃墟いいよ廃墟、特に影が、ということで一つ。

 

mixiの方にもこの後上げるつもりなので、そちらの方でご覧になる方のほうが多いでしょうが、とりあえずはこちらに。

後一日くらい宣伝で更新したら、向こう三日分くらいのつぶやきネタはたまりそうですw

いやいや、ネタの少ない生活なので難儀してますよ。それでは、また。

12/16(Tue)

yamd氏のカット。相変わらず濃いですね、いろんな意味で。無論褒め言葉です。カタログだととっても見難いです。

yamd氏のスペースは火曜日 東ム28b 十柄屋(とつかや)です。

こちらの夏の新刊も五部ほど委託させてもらう予定です。数が少ないのは大荷物になっても迷惑だろうしというのと、正直今年の夏の残部はそろそろ残り少なくて、出し惜しみをしているという部分も有ります。

だって、五部くらい残しておかないと不安じゃないですか。……あれ、手元からさっぱり消えた方が嬉しかったりしますか? まあいいか。

実は新刊表紙とかもデータが手元にあったりしますが、レイアウト的に並べて表示するとなんとなく収まりが悪いので明日に回します。断じて更新ネタ稼ぎではありませんよ?

ではでは。

12/14(Sun)

久しぶりに相方と副編に会って色々話したですよ。

相も変わらずだらだらと話した感じですが、色々と楽しい話が……。

まあ、要するに気心が知れている相手でないと、相手と違った意見を持っているときに、率直に言えないですよね。間違っているのが怖くて半可通な知識も使えませんし。

でまあ、親しいと色々話せるおかげで議論をするのも楽なわけで。時間論とかを齧ってました。

メソアメリカに造詣が深くてびっくりした。たしかマヤの時間論は螺旋を描く「創世と終焉を繰り返す世界観」であるとか。こちらが提示したのは、ギリシアは円環時間論、ヨーロッパは直線時間論だー、というような話。

しかし世界の永遠性を前提とする円環時間論は創世と終焉を備える神話的世界観では存在しえず、専ら宗教から自由な哲学者の中でのみ構想された時間論なのでは、とか。ある一定の時間を「始まり」に定めた暦を用いるものは須らく直線的時間論を持つのではないか、とか。まあ色々。

時間論は文献もまともに当たっていないし、まだまだ考察したこともない分野なので逆に楽しいです。

勉強したいなあ……。

12/13(Sat)

小説を書くと、言わせてみたい台詞ってのが出てくるんですよ。

ベタベタな台詞だけれども、それだけに言わせる機会が無い定型句のようなものですね。

例えば、「来るぞ、構えろ!」とか「――散れッ!」とか。今書きたいのはそういう台詞ですね。

でも、例えばこういう台詞が出てくる場面、また、こういう台詞を言う人物の性格ってかなり限定されますよね。

まず、相対した何かから身構えたり、即座に避けなくてはならないような何かがやってくる状況であること。

別にそれが日常茶飯事である必要はありませんが、少なくとも咄嗟にこのような発言が出てくるような人物は、そういった状況をある程度経験している必要があります。また、率先してそういった警句を発するにあたり、当然ながら発言者の周りには一人以上の味方、ないし仲間と呼べるようなキャラクターがいる状況でしょうし、その中でリーダーシップを張るような性格であると予想されます。

あっという間に状況と人物が限定されますね。さらに、そういうリーダー気質の人物は、主人公か、影の薄い、でもちょっと強いキャラクターであることが多くて、どうも動き方がお決まりで、堅くなりがちな気がします。

ううん、できれば何度も言って欲しいし、影が薄いと淋しいし……。

なにやら、台詞一つでも難しいものですね、という話。

12/11(Thu)

以下はあくまでゲームを作った事の無い私の主観です。

シナリオを書くことと小説を書くことの違いというのは、同じテキストを書く作業でも大きく異なる気がします。

まず、歯切れの良い短くまとまった文章が求められますか。この制限は、ノベルゲームにおいてはテキストを全画面に表示することで多少回避することができるでしょうが、どこまで一気に表示するか、という判断を求められる点ではさして変わらないでしょう。

次に文章は常に音楽、ならびに画像と共に認識されるため、それを意識した文章である必要があること。

これはむしろ付随するものを文章に合わせる場合が多いですが、その文章に発生しうる解釈の余地を音楽と画像が奪っているという言い方もできます。誰の目にも美しく移る人物は、文章上でしかありえませんし。

そのような場合では、画像や音楽と合うようにギリギリまで調節しなければ、どうもしっくりこない、という印象を与えてしまうことになりかねませんしね。

三番目に、地の文が画像や音楽に代用される部分が多く、それを含めた文章のリズムが要求されること。

最初や二番目と被るかもしれませんが、ウインドウの制約や解釈より、さらに表現に深く関わる気がします。

背景やBGMを切り替えたりしたら、誰の目・耳にも場面や雰囲気の変化は明らかに分かりますので、明示する必要がなくなるでしょう。むしろ入れたらくどくなりかねません。

最後に、ゲームはプレイヤーの介入できる点を備えているということ。

選択肢なり、行動なりですが、これによってシナリオの分岐が発生すること、話の筋が一本ではないこと、というのはやはり大きな違いでしょう。常に遊びを持たせ、話が転がる余地を残していなくてはなりません。

つまりは、プレイヤーに常に役割を与えて置いてけぼりにしない、度量の広い文章を求められている、と。

自分の考える大きな違いといったらこの四つくらいでしょうか。なにやら長くなってしまいました。

まあ、いいや。いつかやってみたいものですね。

12/10(Wed)

以前、ゲームの企画案(確かノベルゲームの場合)を提出する場合、シナリオが最低でも八割、正直な話をすれば完全にできていないとお話にならない、という話を兄から聞いたことがありました。

詳細は少し忘れてしまいましたが、なるほどなあ、と思いましたね。いや、我々は冊子を作る時、基本的に何も無い状態から「じゃあ、本作ろうか」というところから始まり、参加者すら未定の状態で本を作ることだけが決まる、というのはよくある話でして。

この場合、我々が一つの冊子につき大体七人ほどで動くのに対し、ゲームはその人数が桁違いであることが、企画案の時点でかなりの部分が出来上がっていなければならない理由の一つかなあ、と。

さらに言うならば、それほどの人数が動く理由というのも、シナリオが出来上がったその先こそが大変だからなのであって、本当にそこが出発点にすぎないということも理由の一つでしょうか。

グラフィックのイメージ調整やテストプレイ、演出に音楽のイメージ調整、長さや文章の間などなど。

シナリオ・原案のイメージが固まっていないとどうしようもないことばかりですね、やはり。

そのイメージをいかにスタッフに伝えていくかということの困難を考えれば、まあ当然の用意なのでしょうか。

そもそもシナリオ自体も小説とは大きく異なる気がしますが、まあ、その話はまた明日。

12/9(Tue)

小説を書く時、筋書きを語ることと、文章を語ることでは大きく違う……といったようなことを、相方から言われました。いやまあ、彼の文章が個人的に鼻血吹くレベルだったので悶絶してたら、そういうフォローをされたってことですが。

しかし、結局のところ語られるのが物語であることに本質的な違いは無いんじゃないでしょうかね。

登場人物たちの背負う過去や、歩んでゆく未来の広がり、今生きている現在や、その中で描かれる彼、彼女の一挙一投足、心の動きの重さに何ら差が出てくるとは思えないわけです。

彼の書く掌編と、私の書く長編の間に横たわる違いは、要するに「ここがこうしてこうなった」という過程を描いたか描かなかったかに終始するのではないかな、と。

ある一場面の中に、その登場人物を出演させた「自分」の語りたいことを凝縮させられるか否か、ともいえる気はしますが。なかなか、短くまとめるのも難しいですね、という話。

12/8(Mon)

三日坊主という言葉がありますね。とりあえずこの日記、還俗する可能性のある三日目は越えたわけですが、なんにせよなんで「3」という数字が何かの区切りにされるんでしょうかね。

結婚三年目だとか、三度目の正直だとか、仏の顔は三度までとか、二度あることは三度あるとか、早起きは三文の徳とか、二束三文とか、三つ子の魂百までとか、三寒四温(これは実際にそうですが)とか、挙げればきりがないわけですが。なんでだろうなあ、と考えるだけ考えてました。落ちはありません。

 

別に毎日続けようと思って三日続けたわけでもなしに、気が向いたら5分くらい、と言っていたら続いた、というのもよくある話。

何事も気軽に続けていくことが大事なんですかね。という話。

12/7(Sun)

出会いは一期一会だ、と友人が呟いていました。

彼女と私自体がつい最近知り合ったばかりで、さらに状況からすぐにまた疎遠になるということで、しみじみとそう感じられたのでしょうか。

同じようにして出会った数少ない人々は皆、色々と話をしてみたい面白い方々なのですが、同じように疎遠にならざるを得ない状況です。色々と寂しいものがあります。

が、より親しく、同じ時間と場所を共有した人々でさえ疎遠になるときはなるのですし、一方で全く意識していなかった人と腐れ縁になることもあります。(望もうと望むまいと、ですが)

そう考えれば、結局のところ親しくなった人との縁を大事にしていくことのほうが、大事な気がしなくもないですね。

とはいえやはり広い交友関係は大事なわけで……。

まあ、人付き合いというのも難しいものです、という話で。

12/6(Sat)

こっそりと呟きを開始してみる。

ファンタジー世界記の設定というのは肥大しがちだと以前メンバーに言われました。

考えてみれば確かに当然で、そこにある国家、その体制、税制、流通貨幣、度量衡、誰が主権を持つことになっていて、実権は誰にあるのか、まあ、その他諸々。

国のあるなしから都市や土地までいろいろでしょうし、当然人物もいれば御伽噺や神話なんかもあるでしょう。

それらを設定していたらきりがないし、その量は膨大なものになろう、ということでした。

しかし、こんな設定を細かく考えるより、そこに生きる人々の「実感」こそが大事なのではないでしょうかね。

そんなことを意識しないで生きている一登場人物の生きる実感が、読者の感じる世界の全てなのでは。

要はイメージが大事、とまあ、そういうことじゃないんですかねえ。

とまあ、自分への戒めも込めて……。

12/5(Fri)

まさか誰も見ていないだろうと思いながらこっそり更新。

とりあえず諸事情は片付けながら進んでいます。早く小説書きたいなあ……

冬はyamd氏が個人で出ます。彼の新刊表紙とかカットとかスペースとか、もしかしたらここに上げることもあるかもです。

 

やみなべ堂自体は夏の参加を目指して水面下でぼつぼつ準備したり、しなかったりです。

何はともあれ、もう三ヶ月くらいお待ちください。

誰も待ってなくても何かしますよ!

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